qualiadiversity’s diary

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マタニティ・ハラスメントを問う

 働き続ける女性が増えるにつれ、職場で課題となっているのが、妊娠・出産期の女性への対応や育児中の男女への配慮である。かつての職場は「産む性」としての女性が働き続けられる環境ではなかった。その状況は雇用労働者の4割が女性を占め、介護・育児休業法が整備された現在でも大きく変わったわけではない。今でも妊娠・出産による退職率は7割を超え、WLBに悩む女性は8割にも上る。
それでも少しずつ変化の兆しがある。クオリアへの依頼で最近とても多いのが、管理職向けに女性社員とのコミュニケーションハンドブックのようなモノを作成して欲しいというもの。その中心的なテーマは出産・育児中の女性への接し方なのである。
「産む性」である女性が働くとはどういうことか、ようやくそんな議論が真剣に行われるようになってきた気がする。

杉浦浩美著の「働く女性とマタニティ・ハラスメント」http://ow.ly/1n9Lhは、妊娠期の働く女性を取り巻く環境をつぶさに描き出しており大変興味深い。
「妊娠」という身体的制約をもちつつ働く女性達。その働く現場は、「ケアレス・マン」と言われる家庭責任を負わない男性をモデルになりたっている。

――「労働する身体」はいまだに「男性の身体」を前提とした「ケアレス・マン」モデルにすぎない。「ケアレス・マン」モデルとは、家事・育児役割を負わない「家庭責任不在の男性的働き方」のこと。――(P196 引用再構成)

これまでの日本人男性は「子供を産まない」だけでなく「子どもを育てる場」にも関わってこなかった。そのことが「産む性」に対する無視・無関心と過剰な配慮につながっているという指摘には深く納得。

――「産む性に対する「無視・無関心」と「過剰な配慮」という二つの態度は、実は同じ事の裏返しなのではないだろうか。「労働する身体」への過剰が「産む身体」への「無視・無関心」を生じさせ、「産む性」への過剰が「特別扱い」という労働からの排除を生む。どちらにしても、女性労働者の身体がそのまま受け入れられた結果とは言えない。矛盾の境界線が外側から設定されていることに、違いはない。――(P185)

それを変えていくカギは「共働き文化」にあるようだ。すでに専業主婦世帯と共働き世帯は逆転し、現在では当事者意識を持って家庭に関わろうとする男性も増えている。

―― 労働領域への生活の進入は「労働する身体」の意味づけを変えていく。それは「共働き文化」という言葉で語られた職場のように、労働者の身体性を変えていく可能性を持っている。 (P203)

 本来、「労働する身体」と「産む身体」は決して矛盾するものではなく、本来「労働する身体」は「多様な身体」であるはずなのだ。

――女性労働者の妊娠期を問うことは、労働領域における「多様な身体」の可能性を問うことであり、そこで問われるべきは「労働する身体」のほうである。女性労働者の「身体性の主張」は「ケアレス・マン」モデルが強制されることへの意義申し立てであり、その身体性を解除する具体的な戦略となりうる。――(P205)

この不況の中で、育休切りや育児中への風当たりが強くなっているという。このような企業・組織に対して消費者としての私たちは強く意義申し立てをしていかなければならない。働きながら安心して子供を産み育てる社会をつくるのは、私たち一人ひとりの意識と行動なのだから。