qualiadiversity’s diary

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女性脳・男性脳

 組織の女性活躍推進をしていると、時々講演や研修の中で「男女の違いや特色について脳の構造の違いという観点から説明して下さい」という依頼を受けることがある。最近は「脳科学ブーム」でもあり、「女性脳と男性脳は違う。だから違って当たり前。コミュニケーションやマネジメントもそれに合わせて変えましょう」という論理は非常に受けがよいらしい。けれど、私はこのような依頼はお断りすることが多い。私自身が脳科学の専門家ではないし、しっかりとした知識や情報があるわけではない。統計学的にはそうなのかもしれないが、「脳が違うから」と一言でくくってしまうことにとても違和感があるのだ。
仕事をする上では、脳の構造よりも思考・行動パターンや社会的規範や環境による違いをどう活かすかの方が重要だと思っている。

ちょうど、GEWEL(http://www.gewel.org/)代表の堀井さんがブログで、「男脳・女脳」や「男女の性差」について書いている。「なぜ女は昇進を拒むのか」進化心理学が解く性差のパラドックス(スーザン・ピンカー著、幾島幸子・古賀祥子訳 早川書房)についての感想とからめて次のようにコメントしている。

―― ダイバーシティの問題は「男女差」とか、「年齢差」で語るのではなく、個人個人を良く見ること、一人ひとりの価値観を尊重することだと考えているからです。
・・・(中略)・・・男女の生物学的差は明確だが、それが女性にとっての運命論になり、「だからやはり女性は家庭に戻るべきだ」論に拍車をかける危険性がある。
          http://blog.gewel.org/?eid=91325より一部引用  -――

全く同感!である。
私たちはめんどくさいこと、複雑なことを避けて、単純なこと、わかりやすいことに飛びつく傾向がある。「脳の違い」という言葉でくくることでどんなメリット・デメリットがあるのかよく考えてみる必要がある。

ふと思い出したのは、新川和江の「わたしを束ねないで」という詩

わたしを束ねないで
あらせいとうの花のように白い葱のように
束ねないでください わたしは稲穂
秋 大地が胸を焦がす
見渡すかぎりの金色の稲穂

わたしを止めないで
標本箱の昆虫のように
高原からきた絵葉書のように
止めないでください わたしは羽撃き
こやみなく空のひろさをかいさぐっている
目には見えないつばさの音

わたしを注がないで
日常性に薄められた牛乳のように
ぬるい酒のように
注がないでください わたしは海
夜 とほうもなく満ちてくる
苦い潮
ふちのない水

わたしを名付けないで
娘という名
妻という名
重々しい母という名でしつらえた座に
坐りきりにさせないでください わたしは風
りんごの木と泉のありかを知っている風

わたしを区切らないで
,や. いくつかの段落
そしておしまいに「さようなら」があったりする手紙のように
こまめにけりをつけないでください わたしは終りのない文章
川と同じにはてしなく流れていく
拡がっていく一行の詩