qualiadiversity’s diary

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評価ってどうよ

先週末は、FAJの九州支部定例会で「ファシリテーターの評価項目」と題してファシリテーターをさせてもらった。このテーマは関西支部で昨年2か月連続で開催した続編です。
前回関西のメンバーが作成した「ファシリテーターの評価項目」をネタに、九州支部のみんなにめった切り?にしてもらおうというもの。
ファシリテーションに関わる中で、ファシリテーターとして上達するために何か基準のようなものがあれば、自分自身の強みや弱みについて客観的に知ることできるのでは?と考えたのがきっかけだが、「評価する」ことへの反発というか疑問の声があちこちで湧き上がってきた。

そもそも、何のために評価するのか、○○ができたからといって、それが本当にメンバーの役に立ったのか、チェックリスト通りにこなせばよいファシリテーターなのか、という意見はごく普通の感覚だろう。けれど、じゃあ自分の技量というかスキルや立ち居振る舞いについて客観的に知るということなしに、本当に上達するのだろうか。
そんな問題提起をしてみたかったのだ。
「私たちが考えるファシリテーターの評価項目のポイントは何?」という問いかけに、九州支部のメンメンは見事に私の期待にこたえてくれた。問いかけの意図をはるかに超えた素晴らしいアイデアが続出。

なかでもファシリテーションの4つのプロセスを大和言葉におきかえた表現はすぐれものだった。

場のデザイン=もてなし
対人関係構築=向き合い
構造化=掘り下げ
合意形成=すっきり

それをファシリテーター、参加者、観察者という3方向からの視点で見ていくという。
そこには、ファシリテーターの役割をメンバーを支援するという姿勢やチーム活動の成果から考えようという思いが見て取れる。
自己の利益(ファシリテーターにとってどうか)ではなく、他者の利益(メンバーにとってどうか、チームや組織の成果にとってどうか)という視点で考えるという答えに、
舘岡康雄氏の「利他性の経済学」を連想してしまった。

「評価」という言葉は「評価する側・される側」という上下関係や、「できる・できない」という○×のイメージが強く、アレルギーを持つ人が多いが、本来「評価」にはもっと中立的な意味あいがあるのではないだろうか。
FAJによって「評価」という言葉のもつイメージやその意味を変えていきたいね、という話で盛り上がった九州の夜であった。